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学習塾で出会った作業服のおいちゃん

 僕は特に教育熱心な家庭で育ったわけではないけれど、小学校5年生の時から親に勧められて地元の学習塾に通いはじめた。その後4年間、塾通いを続けることになる。

 当時はのんびりとしていてよかったなあ。北九州のベッドタウン、人口5万人の田んぼに囲まれたY市の学習塾だったせいもあるだろうけど、特にガリ勉を強要されたことはなかったし。小学校の時は塾には遊びに行く感覚だったような気がする。ある時には、塾の建物の裏にある民家の庭に植わっていたみかんの木にたくさん実ったみかんを、悪ガキ仲間と一緒になって棒で一つ残らずたたき落としたっけ。それを見つけたその家のおやじさんが顔を真っ赤にして塾の教室に怒鳴り込んできて、講師の先生が平謝りに謝っていたなあ。またある時には若い女性の先生の授業の前に、黒板消しの裏に毛虫を隠しておき、それを見つけて先生が泣き出すのをおもしろく眺めていたりもした。関係者の皆さん、その節は本当にごめんなさい。反省しています。

 さて僕が中学二年生の時の話、それは昭和54年のことであった。やはり僕は相変わらず遊びの延長で塾に通っていたのだった。授業中に教室の壁に穴を開け、隣の教室の壁と貫通させて休み時間に貫通式と称して隣の連中と握手をしたり、また市の花火大会があったので、友達と一緒に授業をボイコットして川べりにそれを見物に行き、講師が怒りまくって親に連絡したり。(僕はとぼけたけど。)とこんな具合。

 そんな塾での生活をエンジョイしていたある日、僕は生涯忘れられないおいちゃんに出会うことになる。

 その日はちょっと早めに塾に着いたので、暇つぶしにと思って講師の先生と雑談をするためにかばんを教室に置いて講師室を訪ねた。ところが戸を開けると先生はおらず、代わりに作業服を着たおいちゃんがテ−プレコ−ダ−を前にして、懸命に英語の勉強をしていたのである。

 あれっ、と驚いた僕に気付き、そのおいちゃんはこう話しかけてきた。その内容は今でも鮮明に記憶している。

 『にいちゃんはここの生徒かい。』見ると、40歳くらいで気の弱そうな痩せたおいちゃんだった。『俺はねえ。若い頃に勉強さぼってて今になって後悔しとるんよ。にいちゃんは後悔せんこと(しないように、という方言)今のうちによく勉強せにゃいかんよ。そうせんと、俺みたいに出世できない大人になるよ。』

 この言葉は子供ながら、僕の心にグサッと突き刺さった。このおいちゃんは他にも大人の社会の醜さ、きたなさを分かりやすい言葉で教えてくれたのであった。そしてそれを僕は今でも覚えている。『君たちの未来はバラ色ですっ!』と熱っぽく語っていた学校の先生から勉強しなさい、と言われてもちっともこたえなかったけれども、このおいちゃんの言葉は本当に心に染みたのだった。それからはこのまま塾にいても勉強しないだろうから、と自分で考えて塾を辞め家庭教師の先生に就いて勉強することにしたのだった。(中学校での成績はまあまあ良かったと思うんだけれど、高校では全然ダメになってしまった。)

 当たり前だっ、と叱られそうだが、今改めて思うのだけれども、何も『先生』って学校にだけ いるわけじゃないな。本音で人生を語ってくれる人って素晴らしいなって今も僕は思っている。教育は難しいってよく言われるけれど、タテマエの理屈ばかりを子供に押し付けて、うまくつじつまを合わせようとするからじゃないのかなあ。(そんな簡単な問題ではないか....... )本音で人生や大人の社会を語ってくれたあのおいちゃんは、ある意味当時の僕にとっては最高の先生だったと思う。だって、あの頃それほどまでに僕の心を揺れ動かした大人はいなかったもんね。

 あのおいちゃん、あれからもう20年も経っているからいい歳だなあ。元気にしているかなあ。僕にとっては本当に忘れられないナイスなおいちゃんであった。

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