ある程度予想していたとはいえ、大学受験を現役で失敗してしまった時の僕は大変だった。とにかく涙が止まらなくて、数日間は家に閉じこもりっきり。さらに我が運命を心から嘆き、世界で一番不幸なのは自分だ、なんて勝手に思い込んでいたもんなあ。というのも、大学に行くためには予備校か自宅浪人(いわゆる宅浪ってやつ。)をしなきゃいけないでしょ。宅浪は親が反対、ってことは予備校通いは必至なわけです。ハッキリ言って高校時代は予備校が嫌いだった。だって予備校生って何の肩書きも持たないし、なんか社会に隠れて暗い裏街道を歩んでいるイメージがあったからねえ。そんな思いを心に抱きつつ僕の予備校生活は始ったのです。
ところが、予備校って通いだすと面白い。まず友達。彼らはいろんな高校から集まってやって来る。しかもお互い大学から嫌われてしまった(受かっても合格通知を無視してやって来たぜいたくな人もいたけど。)というヘンテコな同門意識というか心の結びつきがあったというか、そんな感じだったから仲良くなるのは結構早いのです。
そんな環境の中数多く知り合えた友達の中で、僕の忘れ得ぬおもしろい人(略して "おも友" )をここでちょっとだけ紹介してみようと思います。
おも友 その1 予備校生歴8年 Nさん
どこの予備校でもそうみたいですが、いわゆる "主(ぬし) " 的存在の生徒は僕の通った予備校にもいました。Nさんは予備校生歴8年という長いキャリアを持ち、新米のチューターよりも予備校の内部の機構だとか、講師の人間関係とかをより詳しく把握しておりました。僕らにしてみれば兄貴のような存在でしたが、あまりお手本にならない部分が多くあったように僕は記憶している。
毎年入って来る下級生(?)の中に可愛い子を見つけては恋をする。そしてお決まりのごとく玉砕する、といったルーチンワークを毎年くり返している、と3浪目の先輩が言っていたっけ。好きな子の前でいいところを見せようとして、英語の時間にいきなり手を上げ、『先生っ。僕に読ませてくださいっ。』と自らをアピールし、講師に『燃える男意気や!』と言わせしめ、ところが英訳に失敗しまくっていたあの日は記憶に新しい。
その勢いで英作文の授業で、課題を黒板に板書したまではよかったけど、『カリフォルニア』をローマ字で書いてしまい、講師に『私は悲しみを越えました。』と言わせしめたあの日も記憶に新しい。
だけれども後輩たちに好かれた先輩だった。僕は2年間予備校時代を共に歩んだが、その後同じ予備校に通った弟がある時、『Nさんまだいるよ。』とポツリ。
風の便りに N さんは予備校生歴11年目を迎えた年に、その予備校の職員になったと聞いたがホンマかいな? ウソっぽいですねえ。
おも友 その2 予備校生歴数カ月 H君
予備校1年生の時に同じクラスだったH君はとてもいい人でした。隣の人が教科書を忘れていれば自分から見せてあげるし、試験の時に消しゴムを忘れた人がいれば、自分の消しゴムを割って分けてあげてたし。おまけにあまり出しゃばらずに、人の話をニコニコして聞いていたりしたのでした。
こんな感じで宮沢賢治の童話にでも出てきそうな彼が、何故ここに登場するのかお話ししよう。というのも彼、とても足が臭かったのであります。アイウエオ順で並ぶ試験の時に彼はいつも私の後ろでした。しかも彼は貧乏ゆすりのクセがあり、試験中に僕の股間のちょうど真下くらいに彼の2本の足が伸びてきて、それが左右に揺れ出すと同時にモワッと上に昇ってくる芳香と僕は戦っていたのです。僕が通った予備校の机は固定式で机の前後の間隔は結構狭いんですよ。だからちょっと足を伸ばせばどうなるかおわかりでしょう。
僕はH 君とは折に触れてちょっと言葉を交わすくらいの付き合いだったけど、本当はもっと親しくなりたかった。もちろん彼の人柄に惹かれて、ということもあったけれど、親しかったらこう言えるでしょう。『お前、足クセ−よ。頼むから足洗ってくれよ。』 もちろんバチ当たるの覚悟で。
予備校時代の思い出は尽きないなあ。いろんな友達がいて面白かった。面白かったついでに2年も予備校に通ってしまったし。他にもいろんな奴がいた。休み時間ごとに廊下の端と端にある柱の間を駆け足で何度も行ったり来たりしていた奴。(もちろん僕の友達ではないです、というか彼はいつも独りだった。)授業中にノートに一生懸命女の子のイラストを描いていた奴。(いわゆるロリコンってやつだと思う。)試験の途中で必ず下痢を催していつもトイレに行っていた奴。
いくら書いてもキリがないので、本日はここまでにいたします。ご静聴ありがとうございました。